twitterの文字数制限の価値

凝縮

  • 俳句では五・七・五に文字数を制限することで、伝えたいことを『凝縮』させている。
    • 制限により、冗長な情報がそぎ落とされ、伝えたい・表現したいことのエッセンスのみがのこることになる。
    • 『貴重品は身につけて移動してください』と言われる場合、『移動などの支障にならない範囲で持ち運べる量』という制限があるからこそ、本当に大事なものだけを選ぶ事になる。それと同じ。
  • twitterの140文字制限も俳句と同様に『凝縮』の効果がある。
    • ただし逃げる方法がある。
      • 俳句と異なり、文字数制限を守る事に対して評価を与える価値観がない。『逃げ』をしたところで、それは逃げとして扱われるものではない。五・七・五の制約を無視したものはもはや俳句として扱われない状況とは異なる。
      • 複数回のつぶやきにしてしまえばよい。
      • リンクを貼付けてしまえばよい。

長く書かなくて良い、なにせ書けないのだから

  • twitterが140文字制限によりユーザに与えているのは『長く書かなくて良い』という免罪符である。
    • 何かを書こうとするとき、つい『なんだかシンプルすぎる』とか『短すぎる・・・これは"書いた"と言えるのか?』と思うことはないか。
    • そもそも"書く"といったとたんに『どれだけ書いたか』を気にし始めることはないか。
    • twitterではそんなことを思ったり、気にする必要は無いのだ。いや、気にしてもどうしようもない。仕様だ。・・・ということにできる。
    • それを表し、深層に訴えかける言葉が『つぶやき』なのだろう。twitterは"書く"ものではなく、"つぶやく"(つぶやき先)ものなのだ。
    • 『一言から、ご遠慮なく!』では甘い。『一言だけどうぞ』ならユーザに選択の余地はない。そしてその選択性のなさが免罪符になる。
  • メーリングリストに投稿する前に『こんなこと書いちゃって大丈夫だろうか』(これは短さというよりは内容に間違いがあったらどうしよう、というような別の恐れとも関係するが)とか『こんな短い投稿(ある1情報しか伝えたいことがない)でよいのだろうか』とかつい考えないだろうか。そして、そんなに考える位ならやめてしまえ、とならないだろうか。たった1つの1情報だけでも伝える価値が十分にある場合もあるというのに!
  • 2chにもそれに近いものがある。『匿名』であるが故に書いた内容に自信がない場合でも書ける。また、長文を書くと『長文乙!』『どこを縦読み?』『・・・まで読んだ(あとは無視)』といったジャブが飛んでくる文化であるが故に、暗黙のうちに1行・せいぜい数行といった雰囲気がある。2chも長く書けないし、書かないことにたいする免罪符が十分に存在するのである。

『(あなたが)くだらない(と思う)ことでもどうぞ』という免罪符

  • twitter の場合『つぶやき』が誰もに伝わるわけではない。あくまでフォローした(『あなたのつぶやきに興味がある』と表明した)人に伝わる。乱暴な言い方をすれば電子化されたゴミをいくら出しても実害はないのである(twitterのストレージ容量とかは知らないが)。
  • 『つぶやき』の価値はつぶやいた本人ではなく、それを見た側が決める。『おなかすいた』というつぶやきはほとんどの人にとっては電子化されたゴミ(ノイズ)だと思うが、『どの時間帯にお腹がすく人が多いのか』というような統計的な調査、およびそれに基づいて食品のCMを流す時間帯を決める活動をしている人がいたとすれば、集める価値があるだろう。
    • 小説家が『ああああああああ、だめだこんなの!』と丸めて捨てたものでも、拾って読んでみたいファンとかはいるんじゃない?それに近いと思う。
  • 『おなかすいた』というつぶやきはやはり電子化されたゴミ(ノイズ)である、と考える人のほうが数としては圧倒的に多いだろう。だが、それでもそのゴミには意味がある。
    • "赤信号みんなで渡れば怖くない" である。みんながゴミを出しているなら、自分もゴミを出しても良いだろう、と気が楽になるのだ。
    • 最初はおずおずとつぶやく。次第にアウトプットする事自体に抵抗が少なくなり、twitterに対して電子化された情報をアウトプットすることに慣れる(他の媒体に対してアウトプットするより)。
    • そして時々、他の多くの人に価値のある情報を(それこそぽろりと)つぶやく。
  • 玉しかアウトプットするな、と言われると石のみならず、玉もアウトプットされなくなるのだ。
    • 玉石問わずアウトプットしてもらい、検索とフィルタリングで玉を見つけるのだ。

『アウトプット』をいかに気楽に・自然に、楽にさせるか

  • twitterはこの点を訴求したからヒットしたのではないか。
  • 気楽と楽は違う。
    • 『気楽』は文字通り気持ちが楽なのだ。アウトプットすることへのためらいを感じないことだ。
      • 長く書かなくて良い。書きたくても書けないのだから。
    • 『楽』はアウトプットしようと決めたあとに、どれだけ簡単にそれをアウトプット(twitterでいえばつぶやき、電子化する)できるかだ。
      • まず、所定のテンプレートファイル(Word)を入手して、書いて、メールで添付して送付(もちろん、社会人として恥ずかしくない文面でな!)、登録部署による審査、PDF化、掲載・・・もうゴールしてもいいかな?考えるだけで気が重くなる。山登りに挑む感じだ。
      • twitterへアクセスする、自動ログインされ、入力するべきボックスが1つ表示される、書きたいことだけを書く、投稿、掲載・・・これは楽だ。
      • ブラウザの起動、twitterへアクセスする、これすら面倒に思えるなら、専用のクライアントを導入すればよい。ショートカットキーで入力ボックスを表示、入力、投稿、掲載・・・もっと楽だ。
      • 頭の中で『以下ツイート:ほげほげ、以上』と考える、掲載・・・すごい楽だ(まだ実装されていない)。
    • 重苦しい会議で発言することは"気楽"ではない。しかし『誰かなにか意見はありますか?』という後に口を動かして声を出すこと自体は"楽"だ。