無限成長への疑問

  • どうして去年よりかならず売上アップの予算が組まれるんだろうか。
  • なぜ予算が減ることはないのだろうか。
  • その予算を達成するために、存在しない・やりたくもない「仮の案件」を計上し、予算達成できそうな計画を立てるのだろう。

できないと思ったらできない。これはそう。だけど、そもそもなんで「売上」を上げなくちゃならない?宇宙の様に無限に膨張していくものがあるのか?という単純な感覚があって疑問を投げかける。誰かのためにそれが求められているだけではないのか?という疑問もある。

違和感

  • 単調増加する予算、別に増えない所得
  • どこまでも増えていく、ということが「永久機関が不可能」だとされることに反するように感じる
  • 誰のために売上を増やすのか?

見解

売上を伸ばすことの妥当性

今自分が感じている、「売上」を伸ばすことの妥当性、理由が2個ある。

  • 守るために攻める

三国志の蜀と同じである。蜀は魏を討伐し、漢を再興する、という大義名分のもと魏と何度も戦う(北伐)。子供の頃は「夢のために挫けずに何度も挑戦する蜀」という捉え方をしていた。しかし、あるとき、「攻めることで魏から少しでも領土を奪っておかないと、攻められた時に蜀の本土が奪われてしまう。国力が弱い蜀は攻められたらすぐマイナスになってしまう。少しでもプラスを稼ぐことで攻められた場合でも0に戻るぐらいのバッファを確保する必要がある。つねに戦いの場を自国ではなく相手の領土内にしておくことで、自国を守る。」という解釈に転換した(どこかでそういう解釈を読んだ)。

だから、単純に「売上を伸ばす」について、本当に攻めたいから出ている目標なのか、実は「攻撃は最大の防御」としての目標なのか、これは意識したい。企業も自分が滅びることは怖い、だから攻めていることがある、と思う。後ろ向きな解釈だが、これは従業員の利害と一致すると思う。

  • 株主のために成長する

私の所属する会社は「株式会社」なので株主が存在する。一般の投資家や銀行ではなく、親会社が100%の株主ではあるが、株主は株主だ。株主は利益を得るために「投資」している。リスクを負っている。

100%子会社の場合、株券自体の値上がりによる収入はそれほど見込まれず、配当による収入が目的とも思うが、株主の成長期待は自分が株を持ってみるとわかると思う。「もっともっと」なのだ。「もっと売り上げて規模が大きくなって、それに比例して利益を上げて、俺に利益をもたらしてくれ」という気持ちが単純に出てくる。今後3年で売上・利益を2倍にします、株価も2倍ぐらいにはなります、だけどそこで無理したことにより5年後に破綻します、ということだったら3年後に売り抜ける前提でそれを選択するかもしれない。ひどい自分だと思う。その企業の社会的意味など、かけらも考えていない。

「お前がその程度の意識の株主だからといって、全員がそうだと思うな」とはごもっとも。けれど、「売上アップ」を単純に「予算」として「達成しなければならないもの」と妄信しているかのような言動をしている上位層を見ていると、「それって誰のためのもの?」、「どうしてそんなに当たり前のもののように言えるの?」、と思わずにはいられない。その目標を本当に望んでいる人は別に居る。

だからどうする

そんな「売上」の目標であるが、会社に所属している以上は否定は難しい。だからどうするか。

  • 同床異夢

全然別の自分の目標を持ち、その結果の一部として、見かけ上、組織の目標を目指している・達成したようにする。自分が会社に依存せずに生きて行くために、「自分がこの売上を立てられるスキルを身につける」ための練習の場として利用する。これは同じ様な結果を形上生み出すが、意味合いは異なる。

同意出来ない目標であっても、同意しか選択肢がないのなら、本心から同意する必要はない。

  • 株主になる

大きな規模ではないが、売上アップを求める側の立場に片足をおく。ストックオプションはこの形を押し進めたもの。

  • 良い売上を目指す

増やそうと思って増やす。売ろうと思って売る。売れるところがないかと探して売る。そんな売り方が嫌なのかもしれない。アップルのipod touchを電車内で見たとき「なにこの全面ディスプレイの携帯端末!これすごい合理的!すごい便利そう!欲しい!」と思ってすぐ買った。何のCMや広告を見た訳でもない。見て、欲しいから買った。みんなそうだろう?「お願い売って!」という状態だったと思う。増やそうとしなくても結果として増えてしまう・・・こんな売上を目指す。

補足
  • やろうと思わなければできない

これは真実。だから「やりたいことならやりたいと思え」「やるための計画を立てろ」「計画通りにやって成し遂げろ」と思う。
ただ気をつけたい。これは「やりたいと思ったことを人が成し遂げる」ための手法の正しさであって、「なにをやりたいか」については何も規定していない。

「売上アップをしたいと思いその計画を立てなければ達成はない」は正しい。ただ、「正しい」は手法への正しさであって、その手法を適用した対象への同意ではない。
「手法」関数は正しいが、「手法(売上)」の呼び出しに同意するかどうかは別問題。