原子力発電の是非に関する評価基準

原子力発電所の是非に関して考える際の評価基準をメモしておく。

ライフサイクルコストを意識する

原子力発電のコストが低いという場合の"コスト"がどの期間のものをさしているのか。発電所を作る期間。発電をしている期間。発電所を解体する期間。放射性廃棄物を管理する期間。原子力発電は解体と放射性廃棄物の管理において他の発電方法と大きく異なる。10万年管理しなければならない放射性廃棄物の管理まで含めても低コストなのだろうか。

絶対に安全なんてことはもともとあり得ないということを認める

『絶対に事故が起こらない』という言葉を心の底から信じた人が居るのだろうか。居たとしたらそれはあまりに楽観的と言わざるを得ない。飛行機事故も起こる。新幹線の事故も起こる。鉄道の事故も起こる。SEの行う作業にだって絶対はない。手順上問題など起こり得ないような作業でも、製品バグにたまたま遭遇することが本当にある。やらなければならない作業に対して、なるべくリスクの低い方法を選び、リスクがあることを顧客と合意して作業をするものだ。

『絶対に安全だといったじゃないか』という言葉は感情として理解できるが、絶対の安心を求めたら何もできないということを理解するべきである。また、絶対に安全だということになったら、それに対して『安全ではない』と言うことがタブーになってしまう。リスクを発見して評価されるどころか全く逆に世間的に抹殺されることになりかねない。リスクを認めていれば、それに対する継続的な対策は評価され続けられるだろう。

電気の消費者は"家庭"だけではない

原子力発電をやめると、月々の電気料金が1000円増』という記載の電気料金とは"家庭で"払う電気料金である。各家庭で1000円増"だけ"で済むなら思いのほか影響は少ないと私は思う。しかし、"家庭観点"のみを評価基準にしてはならない。家庭だけが消費者なのではなく、企業も消費者である。しかも大きな消費者である。"企業"は安く・継続的に・十分な電気を得られることを望んでいる。高コストで・計画または突発の停電リスクが高く・活動を控えるほどの節電を求められることは企業にとって望まざることである。これにより、従来から問題になっている企業拠点の海外移転に拍車がかかれば、結果として"家庭"に取り返しのつかない損失を招くことになる。

集中による大災害化

安全と絡むことに、原子力発電所の局所集中も上げられる。原子力発電所を受け入れてもよいという地域は少ない。だが、1台受け入れたことにより、2台目以降の受け入れのハードルは大きく下がる。これには『補助金の支給額は発電所建設時が一番高額である』ということも絡んでいるようだ。まるで麻薬中毒に陥れる様な手口だが。このため、福島には6台の既設機と追加建設中の2台が集まることとなり、4台同時対処という困難を生んだ。

安全保障を意識する

原子力発電所にリスクがあることはいわゆる原子力推進派も理解していることだろう。以前はともかくとして福島の事故後にリスクがないと主張しても失笑を買うだけである。この状況であっても原子力の推進もしくは堅持を主張する人の根拠は『エネルギーの安全保障』、『代替エネルギー源が無い』、『利権』あたりがあるだろう。

原子力発電所の事故に関するリスクを考える人は日本の電力をほぼ100%海外から輸入している原油に依存するリスクも考えるべきであろう。食料自給の話から考えてもこの観点は見て見ぬ振りをされる。いざとなれば日本の作る工業品などなくても生活できるのである。付加価値(笑)となることがあるのだ。原油のみに依存しないようにする、という目的だけで考えれば、たとえ仮に原子力の発電コストが高かったり二酸化炭素排出量が多かったとしても原子力を選択肢として残しておく、ということになるのである。単に同じ電力が火力発電で得られれば代替可能ということではない。

原子力発電の割合が3割という数字は『火力は発電量を制御しやすい、原子力は発電量を制御しにくい』という事実をうまくつかった宣伝になっているようだ。つまり、原子力はコンスタントに発電し続けるしかなく、夜も昼もない。となれば夜間の発電は原子力+不足分を火力、ということになる。ついつい火力では7割しかもう供給できず、3割もたすけてもらってる・・・と思いがちだが実際には原子力はセーブが効かないから出番を増やさざるを得ない、というところだ。しかし、これは仮に原子力分を火力で代替した場合に問題になる。単に『ピークシフトすればよい』ということではなくなるのだ。原子力は発電し続けるしかない故に『夜間は電気を使って供給に対応する需要を作る』ぐらいの感覚のところもあるが、火力で代用するのであれば、全時間帯を通しての節電が推奨されることになる。使用する原油量が節電とそのまま対応するように減るからだ。

自然エネルギーで十分に原子力発電を代替できるエネルギーが得られるのであれば安全保障の面でもよりよいだろう。ウランも日本国内で産出できているわけではないのだから。

原油はエネルギー以外にもつかわれている

原子力は発電にしか使えない。ところが原油は燃やして電気エネルギーにする他にも様々なものに使われている。薬・衣類・プラスチックなどの工業製品・暖房などなど、原子力にはできないことが多数ある。仕事AだけができるXさん、仕事A,B,CができるYさんがいる職場で、仕事AはYでもできるからXはリストラな、として仕事B,Cを誰がやる?状態になるのと同じことだ。

利権

原子力発電をすることによりメリットをうける人たちがいるとしても、それを存続の理由にはできない。雇用の維持のために無駄に仕事を作っているという皮肉な社会もあるにしても、原子力でそれをやられたらリスクと釣り合うのだろうか。

マスコミに対する懐疑的な姿勢の維持

"マスコミ"と言っても、いくつかの役割がまざった存在である。

  • 情報を集める役割
    • 発表された情報を取得する
    • 調査して発表されないことを明らかにする
  • 情報を分析する役割
  • 情報を伝えやすく加工・要約する役割
  • 情報を広く発信する役割
  • (この役割はないし、しているとも思えない) どうするべきかを提言する役割

マスコミの報道は基本的に『後づけ』である。ある事件が起こってから調査してみると、『こんな問題があった!』『こんなずさんだった!』となる。この手の報道をみる度に、『前に調べていたら同じ事がわかるだけの調査能力を実は持っていたのか?』『事件発生前に同じ調査結果が得られたとして、その情報を発信すると判断できたのか?(圧力でお蔵入りしたりしないのか)』『実際には調べてあった事が、隠す必要がなくなり(隠せなくなり)出てきただけじゃないのか?』『事後にならないと調査の観点がわからないような状態なのか』などなど。あとから調査して問題を次々と明らかにする行為は『改善のために問題点を洗い出す』ということで必要なのかと思いつつ『単なるいじめのような性格の悪さ』と『どうしてそれを事件前に明らかにできなかったのかという疑念』を感じるのである。
得られた情報を広く広めるだけであれば、ネットが十分それを果たせるようになっている。

『○○を評価するか』というアンケートの調査結果など私は信じない。回答者は『私の主な評価観点は P1,P2,P3,P4,P5 であり、それぞれ x,x,x,x,x 点と考えている。よって、評価する・しないで回答すれば評価する(しない)、である』と答えているのだろうか?感覚だけの回答ではどうしようもない。

サイレント・マジョリティを見誤らない

沈黙が美徳なのではない。理性の無い声が醜悪なのだ。特に小さいマイノリティが声をあげることによって意見を通すのだとすれば、それは許すべきではない。

橋下徹大阪府知事(大阪市長)や小泉元首相に見られる人気は潜在的に『その決定は私が知らない、しかも多数によらない何者かによってねじ曲げられていないか?』という疑念をあまり持たせないからではないか。下記の様な対応は大きな失望を生んだと私は考える。『市の調査で放射性物質は検出されなかった』という事実があるにも関わらず、どういった力によって結果が『中止』になるのだ、それが理解し難い故にストレスを感じる。『汚染を心配する声』がマジョリティではないことは、中止反対の抗議からもわかる。

上記『http://sankei.jp.msn.com/life/news/110809/trd11080901240001-n1.htm』より抜粋。

五山送り火被災松使用中止 抗議・非難の電話殺到
2011.8.9 01:23

京都市内で16日に行われる「京都五山送り火」の一つ「大文字」で、東日本大震災津波で流された岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」の松で作った護摩木を燃やす計画が放射能汚染を不安視する声を受けて中止となったことに対し、京都五山送り火連合会の事務局がある京都市文化財保護課に非難が殺到している。

計画の中止が報じられ、休日が明けた8日朝から同課では電話が相次ぎ、約100件に上った。その大半が「被災者の気持ちを無駄にするのか」「京都のイメージダウンにつながる」などと計画中止を抗議、非難する内容だった。

さらに市政情報総合案内コールセンターにも7日に45件、8日に166件(午後5時まで)の電話とメールが寄せられ、9割以上が中止反対の意見だった。

今回の中止について、福島県飯舘村職員の杉岡誠順さんは「放射能汚染を恐れる気持ちをもつ人がいるのは致し方ない。ただ、今回のことで東北の人々は大変ショックを受けた。中止反対の声もあると聞くと励みになったが…」と話した。

被災者に犠牲者の名前や祈りを書き込んでもらった護摩木は約400本集まった。京都市などの検査で放射性物質は検出されなかったが、汚染を心配する声を受けて大文字保存会が中止を決定護摩木は8日夜、陸前高田市内で迎え火として燃やされた。