ナレッジや知恵を集めたいなら、それらを拉致監禁するな!
ナレッジや知恵を『教えない』と隠しておく意味はほとんどの場合でなくなってきているのではないか
1回きりのアウトプットを補足する必要性
- さて、隠しておく必要の無い情報ではあるが、それをあえてアウトプットする必要はあるのだろうか。ある。残念ながら頭の中のキャッシュ・メモリから脳内HDDに保存される前に揮発してしまう場合や、脳内HDDに保存した事は覚えていても、保存場所や肝心のデータが思い出せないことがあるからだ。要するに『忘れる』からだ。
- 今はっきりと記憶していることをアウトプットするというのは実に退屈な作業である。もちろんアウトプットすることにより情報が整理される、というようなメリットがあるとしても、アウトプット自体はやはり面倒なのだ。これは頭の中の情報をアウトプットする行為が、CPUやメモリ上のデータをHDDやテープに書き出す位遅く、手続きも面倒だからだ。
- これから言えるのは『面倒なアウトプット作業は確かに必要だ。だが面倒なものは1回ですませたい。』ということだ。
- つまり、企業が従業員が頭の中で得た・生み出したナレッジや知恵を集めたいなら、この1回きりを逃してはならない。この1回きりの『アウトプット先』を企業側が提供する(外部のサービスを利用したってよい)スペースにしなければならないのだ。
拉致監禁
- この1回きりの『アウトプット先』に企業側が提供するスペースを選択する上で気になるポイントがある。
- アウトプットが自分に所属したものであり続けるか (企業に拉致監禁されないか)
- アウトプットしたものが消滅しないか
- アウトプットが楽にできるか
- アウトプットが気楽にできるか
アウトプットが自分に所属したものであり続けるか
- アウトプットのそもそもの目的を思い出そう。『忘れる』からアウトプットして記録しておくのだ。
- 今の社会環境では、定年までずっと同じ企業にいつづけるかどうかは不明である。
- むしろ、アウトプットをがしがし出す様な人ほど出て行く可能性が大きい。
- 問題は『自分が移動するときに、アウトプットも移動できるのか』ということだ。
- 忘れないためにアウトプットしたものを、自分の移動時には置いて行かなければならないとしたらどうだろう(mv ではなく cp でよい)。アウトプットをすべて置いて行くとしたら、それはそのタイミングで記憶をすべて忘れるのと同じであり、アウトプットの目的からするととても許容できない問題だ。
- 『企業内から企業外』へのデータ持ち出しは厳禁だ。ゆえに、企業の提供するスペースにアウトプットした情報は、基本的に拉致監禁される運命にある。
- エクスポート機能を有さないブログサイトなどがこれに近い。逃げられないのだ。ベンダー・ロックインそのものだ。
- 忘れないためにアウトプットしたものを、自分の移動時には置いて行かなければならないとしたらどうだろう(mv ではなく cp でよい)。アウトプットをすべて置いて行くとしたら、それはそのタイミングで記憶をすべて忘れるのと同じであり、アウトプットの目的からするととても許容できない問題だ。
- 一応書いておくが、社外秘とされた情報についても持ち出したいと主張しているわけではない。ここでの主張は、アウトプット先になりたいなら、社外秘にして拉致監禁するな、ということだ。
- 業務に深く結びついた情報は汎用性が低く、社外では覚えておく必要が無い場合も多い。
- 固有の業務に適用した汎用的なテクニックなどは、アウトプット時点で適用とテクニックそれ自体に分離しておくべきだ。
- 情報共有とは『共有』なのであって、情報の『引き渡し』ではない。
アウトプットしたものが消滅しないか
- これもアウトプットのそもそもの目的を思い出そう。
- コンピュータが『忘れました』と言い出すとしたら、アウトプット先として許容できない。
- よって、情報がどれだけ確実に『守られているか』は知っておきたいことである。
- 外部サービスを使う場合、『サービス停止前にデータを移行する期間が十分とれるか』も大事だ(ある日突然閉鎖なんて悪夢は嫌だ)。
※インフラSEの職業病?
アウトプットが楽にできるか、気楽にできるか
- これはtwitterの文字数制限の価値 - とあるSIerの憂鬱で書いたことと関連する。
- アウトプット先として選ばれるだけの魅力が無ければならない。
- それが気楽だったり、楽(入力画面が秀逸とか)だったり。
- 企業ならよいアウトプットに対するインセンティブもありかもしれないが・・・